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小学校  ·  2020/10/21

個性は本当に大事にされているだろうか?

NetflixでアメリカのBBQの腕を競うコンテスト番組を見ました。TVチャンピオンと料理の鉄人が合わさったようなものと想像してください。

 

その中の各所で出場者のコメントがはさまれるのですが、彼らがとにかく語る語る。聞き手はいるんでしょうけど、インタビューで聞かれたことに答えている感じはありません。どの出場者も独白状態で雄弁です。しかも内容も独特でおもしろい。これが自分だ、聞いてくれ、という勢いがありました。

 

これ、日本人ならどれくらい語れるんだろう。そう考えるとちょっと心配になりました。あらかじめテーマをもらって準備していたとしても、カンペも見ずにあれほどしゃべれるのか。私は自信ありません。

 

お国柄の差はもちろんあります。しかしそれを加味しても、この発信力の差はあまりにも大きい。この差はどこで生まれるのでしょうか。

 

自由な発言をしづらい

いい子が正解?

日本では、自分の意見を言うことに寛容ではない面があります。自由な言論が憲法で保障されているのに、何を言っているんだという人もいるでしょう。

 

ところがこれは、学校の参観日に行くと見えてきます。発表を聞いていると、話し合って、仲良く、思いやって、などの言葉を聞くことが多いことに気づくでしょう。これは、私が小学生時代とあまり変わっていません。

 

そういう「いい子ちゃん」なことを言えば、少々文脈からずれていても先生から咎められることはまずありません。それどころか誉められることが多く、無難な答えとなっています。

 

子供はよく見ていて、こういう答えをすれば誉められるとわかっています。「いい子ちゃん」な答えが望まれていると知っているのです。ある意味「正解」が決まっていると言えます。

 

こんな環境では、なかなか自分の意見が育たず、望まれている答えを言うようになるのが自然というか、むしろ強要されている部分もあるのではないでしょうか。

 

出る杭は打たれる

答えを強要というと穏やかではありません。言い方を変えて無言の圧力と言った方がよいでしょうか。

 

なにしろ潜在的に「正解」があるのです。それと違うことを言ってはいけない雰囲気が長年かけて醸成されていますから、「正解」以外の意見を言うこと自体、簡単ではありません。

 

加えて同調圧力があります。異質なものをはじく空気は確実に存在するのです。出る杭は打たれる。実態を的確に表したレベル最大級のことわざです。こんな風潮が色濃いようでは、ますます個性的な意見は受け入れられないでしょう。

 

個性を磨く解決策

答えのない問題

実社会では答えのない問題にぶち当たることが多いのに、学校では答えの決まった問題をやるからダメ。

 

私は、よく言われるこの主張に対し批判をしました。答えが決まっているからダメということはまったくありません。

 

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ただし、答えのない問題はやるなとは言っていません。やるべきです。それには討論が向いていると思います。簡単な討論なら小学校高学年くらいから始められます。

 

その際には気をつけたいことがあります。正解がないのですから、多少激しい意見でも反社会的反道徳的でない限り許されないといけません。自由な意見を言ってもいいんだという空気を作り出していくことがとても重要です。

 

そうすることで、他人を尊重しないといけないとか、自分の意見を言ってもいいんだという意識をじっくりと育てていけます。

 

先生の技量にかかっている

小学校低学年で討論は無理です。その間に優等性的発言を絶対的な「正解」にしないでもらいたいですね。それにはそういう発言を殊更に誉めたりしないことです。

 

一方、違う意見が出たときには、独自の考えを出せたこと自体をほめてほしいと思います。人と違うから良い。そういう空気を広げていけたら社会はゆっくり変わります。

 

絶対的に何を言っても自由というわけでもないのが難しいところ。国語なら扱う教材がありますが、その文脈と完全にかけ離れていては認められません。悲しい話に対してうれしいと思うようでは読み違えています。それは個性ではありません。いい子ちゃんな発言も適切でなければやはり無条件に認めるわけにはいきません。

 

現場経験がないので勝手なことを言いますが、独自の意見を出せたことはまず誉めて、その後にやんわり否定でしょうか。実際はケースバイケースで、先生の腕にかかっています。先生って本当に大変です。日本の将来のためによろしくお願いします。

 

家庭で対処

将来なんて待てない、今どうするかなんだ。当然です。私もそう思ったから家庭教育を頑張ってきました。

 

優等生的なことは、考えようによっては多数の前提でもあるので、言ってもしょうがないとか、何も言っていないようなものだから、違う意見を出さないと個性ではない、とずっと言ってきました。文章を書かせるときも同様に当たり前のことは書かないように指導しました。

 

家族で話すことも多く(今でも話します。特にコロナの今年はよく話す機会があります)、 答えのないこともよく議論します。家ではリミット無しで、多少過激でも自由に発言できるようにしてきました。

 

そうやって育ててきても、番組で見たアメリカ人のようには話せません。お国柄の差は埋めがたいものがありますし、家庭だけでは困難で、社会全体で自由に発言できる雰囲気がないといけないのかもしれませんね。それにはやはり、学校教育の改革は不可欠です。

 

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tagPlaceholderカテゴリ: 教育論, 2020年10月

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