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大学受験  ·  2020/02/07

【体験記】国公立医学部二次試験

2020/12/09 加筆修正

センター試験で9割810点のみならず800点にも満たなかったことは大きな誤算でした。その影響で、二次試験の受験先として描いていた戦略にも変化が現れます。

 

息子の受験体験期もいよいよ最終盤。最後まで振り返っていきます。

 

  1. センター試験前に決めていたこと
  2. 出願戦略の変更
  3. 出願校の決定
  4. 二次試験まで残り1ヶ月
  5. 二次試験〜合格発表

センター試験前に決めていたこと

 

ボーダーライン

センター試験の前に一応決めていたルールがありました。それはボーダーラインを下回る場合には出願しない、というものです。

 

ある大学のセンター試験の得点分布をみた場合、高い点の層は当然合格者が多く、得点が下がっていくにつれて合格者が減り不合格者が増えていきます。そしてある点数を境に不合格者の方が多くなってしまう。この境がボーダーラインです。つまりボーダーライン上では受験者の合否が半々になります。

 

息子は二次力にはそこそこ自信がありましたから、ボーダーライン上の勝負で負けることはないだろう、という気持ちでした。センター試験が不利にならないような位置からなら勝算アリです。

 

メンタル面に不安あり

そういう決め事をしていた大きな理由は息子のメンタルです。根底には中学受験時にプレッシャーによって力を出せなかった体験があります。

 

ただしその後の中高生活で精神的に成長しました。中高では成績上位でしたが、それを保つには相応の重圧があったはずです。その重圧を乗り越えてきた経験は貴重です。

 

けれどもよくよく考えてみると、それら残してきた実績は不利をはね返して築いたものではありません。納得のいく準備を繰り返してきたからこそ成し遂げられたものです。言い換えれば、逆境に強くなったかどうかは証明できていません。

 

練習していないことは本番ではなかなかできるものではありません。ましてや、二次試験の準備期間はセンター後の1ヶ月強のみです。まだ手つかずの二次対策で万全の準備をするのは困難。だからこそセンターで不利にならないように、ボーダーを下回るようならば受験校に選ばない。とりあえずそう決めていました。心に余裕があれば息子は力を発揮できる確率が跳ね上がります。そのための線引きがボーダーラインでした。

 

こだわりの志望校はなかった

医学部受験決断が遅くなったことで幸いしたこともあります。どうしてもこの大学に行きたい、という気持ちを熟成する時間がなかったことです。

 

医学部の序列や学閥に疎かったことも良かった。東大京大の医学部が別格としても旧帝大の格が高いだろうことは誰でもわかります。でも、千葉や新潟が「旧六」という分類に属して格式があることはのちに初めて知りました。そういえば私の故郷の高知では岡山大の評価が高かった気がしますが、旧六という枠があったからなんですね。

 

そういうものにこだわりを持たなかったおかげで、受験校はセンター次第と割り切っていました。少しでもボーダーに足りないようなら出願を見送る。そう決めていたようです。この「少しでも」という部分の受け取り方が、私の考え方とは大きな違いがあったため、のちに少々モヤモヤさせられることになります。

 

出願戦略の変更

 

センター試験

人生のかかったセンター試験で痛恨のミスが出ました。国語では二択に絞った選択肢をことごとく外したのです。残念ながら運がなかった。練習ではもっと精度が上がっていただけに、通常の精神状態なら正解枝を選べたはずでした。やはりメンタル面で万全というのは難しかったようです。

 

センターの十分な練習ができなかったのもひとつの要因で、ギリギリまで医学部受験を決められなかったことの大きな弊害でした。ただそれは悩み抜いて出した結論の代償ですから仕方ありません。そういう背景や時の運、さらにメンタルも含めた総合的なものが実力です。だから実力不足だったということは認めざるを得ません。

 

でもこのセンターのおかげで息子は、自分が本番に強いかもしれないという幻想を完全に捨て去ることができ、余裕を持って受けないといけないと身に染みてわかったと言っています。

 

第一志望校を断念

センター試験の失敗により受験を断念したのが東京医科歯科大でした。断念の理由は1ボーダーに足りなかったことが全てです。医科歯科なら自宅から通えたということ以外に思い入れもこだわりもなく、事前に決めていたからとあっさりしたものでした。

 

ところがよく考えてみると、医科歯科はセンターと二次の比率が1:2で二次重視の試験形態ですから、ボーダーラインに足りなかった点を医科歯科の点数に換算すると、ほんの2点〜3点しかありません。540点満点中の3点です。その差で合否が分かれることは十分にあるので決してバカにできませんが、受験者の当落が半々となるボーダーラインの性質と息子の二次力を考えると差は微少です。気の持ちようで何とでもなりそうで、第一志望に思い入れのある学生なら譲らないところでしょう。

 

私はこれくらいならば挑戦してみればどうかと言いました。説得材料は防衛医大の存在です。防医は一次通過しています。その上、息子の高校からの受験生は二次まで行って落ちた例がないという話でしたから、まあ大丈夫だろうと。浪人しなくてかまわない確率が高いのだから多少がんばってもいいんじゃないかと思いました。

 

息子の希望が最優先

しかし息子の考えは違いました。防医は国医前後期両方落ちの場合のみにしてほしいと言いました。寮生活と卒業後の任官義務、とりわけ後者の9年間の覚悟ができていないと。でも国医に通らなければ覚悟を決めて受け入れるとのこと。私立に行かせてくれというわけではないので、それくらいの希望は通してやらないわけにもいきません。

 

ただ親としては、防医の学費不要、住居費不要はとてもありがたい条件です。寮生活といっても所在地の所沢は家からも近く、週末(金曜夜〜日曜夜)は帰宅可能です。親から離れた生活を始めて慣れていくには実に適度な環境と言えます。それに引き替え、家から通うことのできる医科歯科以外の大学だと下宿を考えないわけにはいきません。医科歯科にチャレンジしてダメなら防医に行ってくれよ、というのが偽らざる私の気持ちでした。

 

もっともその気持ちは息子にキッパリとは言えませんでした。とにかく時間がありません。すぐに二次対策に移る必要があります。なんだかモヤモヤしたままでしたが、息子の希望を全面的に受け入れました。子供に一生の後悔をさせてしまっては親の恥ですから。

 

子離れの機会

それにしても、あのモヤモヤした気持ちは何だったのか。当時はバタバタしてゆっくり考える時間のなかったのですが、今になって私の方の覚悟が出来ていなかったからだとわかってきました。

 

ほんのひと月前まで私は、息子が東大理科一類を受けるだろうと思っていました。悩んでいることは分かっていましたが、それでも最後は可能性の高い東大を受けるだろうと決め込んでいたようです。実際はそこからの急展開で医学部受験を決心しての受験突入でした。息子の方はいろいろ葛藤があって決めたのですが、私の方は悩んでいない分、気持ちがついていけていなかったのでしょう。

 

息子の方は親元を離れる覚悟もできていたのに、実は親の方が子離れできていない。ずっと良好な親子関係でしたが、ベッタリ親子というわけではなかったので、子離れできていなかったという事実は自分でも意外です。

 

それでも、息子が二次試験に向けて勉強をしているのを見ているうちにモヤモヤした気持ちはいつの間にかなくなって、気がつくと全面的に応援していたような気がします。この期間にやっと子離れできたのかな、と思っています。

 

かくして第一志望だった東京医科歯科大を断念し、志望校の選定をする事となりました。とにかく時間がありません。 

 

出願校の決定

急いでボーダーラインを上回っていてさらに条件の整った大学を見つける必要があります。そのボーダーも大学によっては点数を換算する必要があるので慎重に計算しました。すると前期日程でボーダーが9割以上という大学は思いの外少ないことがわかりました。旧帝大上位校は元々想定外なので困りません。東京医科歯科大は想定していただけに残念でしたが、まだまだ受験できる大学はたくさんあります。

 

後期はさすがに届かないところがいくつか増えます。やはり医学部はセンターで取っておかないとチャンスが減りますね。

 

ボーダー以外の条件はいくつかあります。できれば関東甲信越周辺が良い。横浜市立や筑波なら近いですし、群馬新潟信州あたりなら新幹線を使えばすぐです。できれば飛行機の距離は避けたいところ。帰省等があまりに大変だからです。新幹線でも金沢・名古屋市立・福島県立くらいまでがギリギリの範囲内でしょうか。

 

しかしその条件をあえて外すなら北海道大学か九州大学です。やはり旧帝大は有名で魅力がありますから、最初から考慮外にするのはもったいない。

 

あまりに田舎過ぎないということも条件に加えました。地方大学の医学部には、何もないところに立地している例が少なくない。そんな田舎だと車がないとかなり大変です。家を借りてさらに車、駐車場となると、賃料が安いとはいえども結構な出費になります。やはり何をするにしてもある程度の都会の方が便利です。

 

その例外として高知大学は考えました。私の故郷であり、今も私の両親が健在だからです。そこなら住む場所があって家賃はかかりません。車にも乗れます。ただし高知は遊ぶところも少なく、しかも医学部周辺はさらに何もない辺境です。そこは覚悟しておくように言いました。

 

それらの条件を勘案し結論を出すまで、各予備校のデータを見比べ、ネット情報をくまなく調べて悩みに悩みました。今の時代は情報が多すぎ、しかも全てが正しい情報とは限らないので混乱させられます。それらを取捨選択しながら考えること2〜3日。何とか出願校が決定しました。

 

前期日程校の実名は勘弁していただいて、後期は山梨大に出願が決まりました。立地こそ甲府駅から少々離れた郊外なので条件とは少し離れます。でも東京から比較的近くて帰省は容易で、その点は高評価です。何よりもボーダーラインを上回っていて、二次重視。しかも後期日程がメインの特殊な大学で、合格者が多いところが魅力です。

 

医学部受験を最終的に決意してから約1ヶ月。いろいろありましたが、やっとのことで受験校が決まりました。二次試験までこれまた1ヶ月というところです。

 

二次試験まで残り1ヶ月

 

二次対策

試験対策は防衛医大の時と同様で過去問(赤本)のみです。本番と同時間にやったのは前年1年分だけ。本番1週間前に実施しました。

 

それ以前の数年分は次のような方法でやりました。まず制限時間内に解く分は普通に鉛筆を使い、時間外の分は青ペンを使って書きます。そうやって存分に時間をかけて答案を作るのです。そうすることでだいたい何割くらい取れたか判る上に、過去問を味わい尽くすこともできます。

 

当たり前の話ですが、過去問は実際に入試で出たものです。出題の傾向や癖、難易度等が大きく変更することは稀ですから、合格に向けてこれ以上の材料はありません。さらにはその大学の考え方や方針も分かることがあります(特に英語や小論文のテーマ)。だから過去問はとことんやり尽くすべきです。

 

そうであるならば、本来過去問はもっと早くに手を着けて何周もするべきです。とはいえ、12月まで医学部受験するかどうかで悩んでいた息子は論外として、現役生の場合は夏〜秋だとまだまだ実力不足です。しかも一次試験で受験校が変更することもあります。だから過去問は直前の方が合理的かと考えます。ただしいつ始めても過去問はできる限りやり込むべきです。

 

過去問以外には、得意にはならなかった数Ⅲの問題集、英単語や理科のざっくりした見直しをしました。かけた時間は過去問:他の勉強が7:3くらい。ざっくりとはいえ大量です。見直しは正直言ってやらなくて良いと思いますが、確認することで思い出すことはありますし気休めにもなりますから、余裕があればやるのも良いでしょう。

 

私立併願はなし

余裕があった最大の理由は、私立を併願していなかったことです。私立に行かせることは、ちょっと我が家にとってはハードルの高い話です。医学部受験を聞いたのが約1ヶ月前で心の準備も整っていませんでしたし、何よりも尋常でない学費です。私立も受けたいと言い出さなかったのは本当にありがたかった。まあそこそこ自信もあったようですし、何よりも防衛医大が何とかなるという気持ちもあったのでしょう。

 

その防衛医大の合格発表が2月の半ばにありました。当日の朝、インターネットで番号を見つけたときは心から安堵しました。その後すぐに担当の方からお電話もいただき、自衛隊東京地方協力本部には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

浪人の心配が消え、息子はますます余裕が出た様子で、ますます調子が上がって勉強がはかどっているようでした。

 

試験〜合格発表

しっかりした準備ができたため、試験の出来は良かったようです。あまり手応えを口にしない息子ができたと言うくらいですから、おそらく大丈夫です。

 

面接は防衛医大のとき以上に短く簡潔に終わったそうです。3分くらいだったとのこと。やはり学級委員長と運動部の部長を経験しているのが大きく、普通の受け答えができただけで即OKが出たのでしょう。

 

合格発表までは10日以上空きます。この期間に後期山梨大学の過去問をやらないといけません。前期試験までは全く手を着けていませんでしたから、分量を考えると結構大変です。しかしながら息子は、あまりやる気が起きないようでした。前期試験で手応えがあったためか、モチベーションが上がらないのは明白です。私としては山梨よりは防衛医大の方が良かったので、口出しも一切しません。それ以前に家中に大丈夫だろうという雰囲気が漂っています。もう合格発表を待つばかりです。

 

今は合格発表はネットで見られます。だから現地に見に行く必要はありません。でも、中学受験のときに目の前の掲示板で受験番号を見るという経験をしていないこともあり、自信もあるようだからみんなで見に行こうとなりました。

 

遠くまで朝早くから出かけ、発表時刻に間に合うように発表会場に到着です。ここまで足を運んでいるのが少数派であることは明らかで、私と妻は悠々最前列に陣取ることができました。息子はここに来て不安になったようで(やはりメンタルが弱い)、後ろの方で発表を待っています。

 

時間の5分くらい前に、係の職員さんたちが掲示板に合格者の番号をセッティングしていきます。まだ覆われていて見えません。透けて見えることもありません。

 

いよいよ時間になり覆いが外されます。パッと目に入ってきたのは息子の受験番号でした。瞬間、後方に移動して息子の方に向かいます。息子も遠目に確認していたようで、互いに歩み寄ってガッチリと握手をしました。この時のことは生涯忘れないでしょう。


最後に

長かった受験は無事終了しました。後悔することはたくさんあります。特にセンター試験には悔いが残ります。国語であと2問、将棋でいうところの指運があって正解肢にの方にマークできていれば、息子は確実に違う大学に行っていました。センター試験は本当に人生が変わる怖い試験でした。2021年から始まる共通テストも、おそらく大枠は変わらないものと思われます。

 

ただし後悔はありますがとても満足してもいます。たくさん失敗しましたが、その都度、力を尽くしてきた自負があるからです。塾に行かず、中学受験から大学受験まで何とか乗り切って、目標と定めた職業の入口に立たせられたのですから上出来でしょう。不満を言ってはバチが当たるというものです。

 

ここから先はもう私達両親が伴走して行くこともありません。寂しいですが、息子が自らの足で進んでいきます。大学に入っただけでは何も決まらない。これから先が大事だということは小さい頃からずっと言い聞かせてきました。‘できる’人間になることが目標であり、これからもそれに向かって全力でやってくれるものと期待しています。私達は、この先の人生で息子が悩んだときや力を貸してほしいときに相談を受けたり、一時的に立ち寄って休んでいけるような存在でありたいと思います。

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