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最近の話題  ·  2018/09/06

体操協会パワハラ問題を見て思うこと

女子の体操宮川紗江選手と速見コーチ、そして塚原光男夫妻が絡んだパワハラ、暴力問題が世間を賑わせています。

 

パワハラ問題については正直どうでも構いません。しかし過去の栄光だけで要職に就いているのはどうかと思います。まあ、塚原の副会長はまだ良いです。何と言っても体操界のレジェンドです。そんな象徴的な存在に名誉的な地位にいてもらうことは、対外的にも意義あることです。

 

でもその妻の塚原千恵子氏も権力を持っているとなるとちょっといただけません。聞けばそれは女子体操日本代表の実質的なトップであり、発言権が最も強いそうじゃないですか。70歳も過ぎてそれはどうなんですかね。年齢はともかく、すごい理論を持っていて、女子体操が世界のトップでやるためには塚原千恵子氏の力が必要というならともかく、近年男子と比べると女子は物足りませんし、直接指導している朝日生命体操クラブは代表選手も減っている始末。

 

これまでに女子選手の育成に貢献はあったのだと思いますが、長年積み上げてきた権力の裏には、レジェンドである夫の権威を存分に利用してきたと思われます。もうそろそろ引き際を考えないと、塚原光男氏の晩節を汚すということになります。ムーンサルトに感動した世代もたくさんいます。その人たちの青春時代の思い出を大事にしてあげてほしいと思います。

 

定年制にするなどして、いつまでも権力を持ち続けない仕組みにしないと、世界の競技レベルについていけなくなってしまいかねません。残念ですが、夫婦そろってそろそろ隠居なされればいかがかな、と思います。

 

そちらの件はともかく、私が気になっているのは、今回の件の発端となった速見コーチの暴力問題の方です。今回はその体罰・暴力について考えるところがありましたので、よかったら読んでください。

 

インデックス

暴力問題の経緯

体罰が当たり前だった時代

暴力は絶対悪に

今の基準で過去を評価してはいけない

体罰に変わる指導法の普及が急務


暴力問題の経緯

 

宮川選手や速見コーチの会見では、暴力は平手で顔をはたく、髪を引っ張る、お尻に蹴りを入れる、怒鳴り声を上げるなどでした。言葉だけだとイメージが湧きませんが、実際に暴力を振るっている映像も出回りました。それに見ると、宮川選手の小さい体が浮き上がるくらい強烈なビンタでした。体罰に慣れていない今の子供は震え上がるでしょうし、大人の方もあれほどの暴力は久しぶりに見る衝撃映像です。コーチの処分は適当でしょう。

 

それにもかかわらず、宮川選手自身とそのご家族が、コーチの行為を当初は暴力とはとらえていませんでした。最初の方で出した文書からそれは明らかです。愛情あるからこその叱責、いわゆる愛のムチと考えていたことは間違いありません。

 

スポーツの世界も千差万別でしょうが、体操界においてはかつて体罰が盛んに行われていました。池谷幸雄氏がそうコメントしています。池谷氏は私と年齢も近いのですが、選手の頃はボコボコにされていたというようなことを言っています。

 

そういう暴力に免疫があるからか、池谷氏が速見コーチに同情的なことは確かです。塚原夫妻に批判的(急先鋒です)なことを割り引いても、それは伝わってきます。池谷氏の体操教室の映像を以前にテレビで見たことがありますが、バラエティで見かける姿とは違って、結構厳しく指導していた印象です。怒鳴っていたかと言われるとちょっと自信はありませんが、大きな厳しい声を出していたことを覚えています。池谷氏からすると、手を上げるような暴力的指導はしていないのに、厳しい大声を出すことまで暴力扱いされてはたまらない、という意識もあるのではないでしょうか。それこそ、自分を否定されるような気持ちになることもあるかもしれません。

 

それは宮川選手も同様です。これまで速見コーチから指導を受けて日本のトップ選手にのし上がりました。まずこれだけでも大変な実績で信頼するに値するコーチです。こちらは実際に手を上げられているし、傍目にはどう見ても暴力ですが、コーチは自分のことを思って叱ってくれていて、そして高圧的なだけではなく、自分の言いたいことも言える。さらに家族ぐるみで信頼しており、何より自分を代表選手にしてくれた。そんな当事者の自分が速見コーチがいいと言っているのだから自由にさせてくれ。これがそもそもの本音だと思います。

 

その後、今は暴力はいけないんだよ、と直接言われたり、周囲や世間の反応も感じたりしたのでしょう。大前提として「暴力は絶対に許されない」と言うことを欠かさないようになりました。日本代表選手としての責任の重さも説かれたかもしれません。代表選手は公人ですから、反暴力の社会の常識に合わせる義務も感じたからこそ、トーンが変わったのだと思います。

 

そういう社会の雰囲気を見るにつれ、何となくいたたまれなくなった自分がいました。私は体罰がまだ行われていた時代を知る世代ですが、暴力を振われたけれども、恩人と言えるような人物を知っているからです。

 

 

体罰が当たり前だった時代

 

一言で体罰と言っても、その中身には大きな差があります。感情のはけ口として暴力を振るう人間は結構いました。小学校の担任で新任の男性教師が赴任しました。その教師はろくな指導力もなく、強権的な方法しか知らない人間でした。耳を引っ張り上げる体罰を好んでいましたが、耳たぶの付け根が裂けた同級生が出てしまいました。その後、暴力自体は収まりましたがその1年でよその学校に転出していきました。

 

その教師だけでなく、怒鳴るのが当たり前の人間は多かったですし、意味なく正座と瞑想をさせる指導者もいました。それらを課す側が生徒のことを考えてそうしているのかどうかは子供心にもわかります。ただ、力を誇示したいだけという場合には、やはり理不尽さを感じたからです。

 

そんな中でも、当時でも群を抜いた体罰を行っていたのが、私が中学受験をするときに通っていた塾の先生です。

 

こちらの記事にも書いています。

約40年前の中学受験

 

本当に厳しい先生で、標的にされると頭を棒でぶたれます。時には頭がでこぼこになるようなこぶができます。冗談でも何でもなく大仏のような頭になります。こぶの上にさらにこぶができるなんていうこともある過酷な体罰です。怒鳴るなんていうのも普通にあることでした。

 

その塾の体罰が激烈ということは誰でも知っています。それでもなお、その塾に生徒が集まるのですから、体罰が容認されていた当時の空気が伝わると思います。今なら少々進学実績が良くても入塾者が少ないでしょうし、存在自体を社会が許さない可能性もあるくらいです。

 

それでも私を含め多くの仲間たちは塾をやめませんでした。一番の要因は成績が目に見えて上がったことではありますが、多くの生徒が先生を尊敬していたことも見過ごせない事実です。厳しいことの方が断然多かったですが、たまにほめてくれたりやる気を出させてくれる話をしてくれました。理不尽な体罰が全くなかったとは言えませんが、基本的には生徒に非があってのことでした。ですから、怖いながらも先生のことは好きだった生徒が多かったと思います。塾最後の日には涙を見せる生徒もたくさんいたくらいです。

 

無事合格してから、友人たちとご挨拶に伺ったのですが、あの怖かった面影を全然出さず、終始にこやかに対応してくださいました。最後は車で各自の家まで送ってくれたほどです。厳しかったけれど、すべては生徒が伸びるようにという一心だったのだと、通っている当時から思っていたことが確信に変わった瞬間でした。

 

厳しく辛かったこともたくさんありましたが、結果が出たこともあって、中学受験はすべて良い思い出として残っています。

 

 

暴力は絶対悪に

 

その後少しずつ状況は変化していきました。勝手な見解ですけれども、バブル期を経て暴力はいけない雰囲気が高まっていき、今世紀に入ってから気がつけばレッドカードになっていたというイメージです。

 

今現在ではさらに進んで、怒鳴るのはイエローカード確実。大きな声というだけでもファールは確実に取られるところ。軽く頭をはたくだけでもだめで、肉体のコンタクト自体が良くない風潮となっています。

 

そのことは、人間社会の進歩ととらえることもでき、良いイメージの方が多いと思います。痛いのはイヤだからとか叱られたくないから注意を払うというのは、危険を避けるという本能に訴えるやり方です。それが禁止された今、言葉を尽くして説得し、理性に響かせて行動してもらう指導方法は、いかにも人間としてひとつステージが上がった感じです。

 

 

今の基準で過去を評価してはいけない

 

そのような時代の変化により、私の良い思い出も今の基準に当てはめるとトンデモナイということになってしまいます。暴力的な指導を批判されたり、洗脳だの宗教だのという評価を下されてしまっている宮川選手の件を見ていると、自分の懐かしい記憶を否定されているようで、本当に辛くなります。

 

今の基準からみて、昔は野蛮だったと切り捨てることは簡単です。でもそれで良かった時代はあるのです。

 

体罰禁止は正しい方向です。社会の進歩です。でも、過去の時代時代の価値をバカにするのはおごりというものです。その時代を経て今があります。過去の上に現在があるのです。過去に感謝し尊重することをせず低く見ることこそ思い上がりなのです。

 

私の中学受験もそうです。塾の先生が現在を生きておいでなら、体罰とは違った方法で、きっと生徒を導いてくださったはずです。ただ、当時の常識からして、それ以外の方法を知らなかっただけなのです。誰がそのことを責められるでしょうか。

 

歴史でも、身分制度があった時代もありました。拷問が行われていた時代もありました。その時代にはそれが当たり前で疑問をはさむことではありません。そこから現代に至るまでにどのような経緯・流れがあったかを客観的に知ることが歴史学習で、現代の尺度で評価をすることではありません。

 

 

体罰に変わる指導法の普及が急務

 

大事なことは現在をより良くすることです。過去の否定ではなく、現代の課題に向き合うことです。過去の教訓から暴力がいけないという常識を獲得しました。しかしながら現在ですらまだまだ未成熟で、暴力に変わる指導手段を確立しているとは言えません。

 

手を上げることは絶対悪になりました。怒鳴ることも暴力としてとらえられています。しかしそれら以外の違った形の暴力も明るみに出てきました。体罰を加えたり怒鳴ったりはしませんが、試合に出さない、練習に参加させないなどの手段を使って選手を干します。野蛮ではないかもしれませんが、陰険なサイレントバイオレンスと言え、なかなか非道な仕打ちです。パワハラもこの類ですね。これでは暴力の根本は変わっていないことになります。

 

暴力廃絶というせっかくの進歩を手にしつつあるのですから、この際指導法も刷新して、ハラスメントとは無縁のコーチングなどが一般的に普及することを期待します。

 

水泳界などは平井伯昌コーチを始め、暴力とはかけ離れた指導者が活躍しています。遅れている競技はそれら先進的かつ結果を残している競技から教えを請うなどして、スポーツ界横断的に発展してほしいと思います。東京オリンピックはちょうど良いチャンスではないでしょうか。

 

体罰が当たり前の中で育ったので、私も息子が小さい頃は暴力を振るったこともあります。だから速見コーチの気持ちも分かります。でも私ですら時代の変化の中で、コーチング等いろいろ本を読んで体罰とは決別しました(ただ、気をつけないと怒鳴ってしまいます。)。素人の私ですらそうなのです。ましてや速見コーチは代表選手を預かるコーチなのですから、勉強不足と言わざるを得ません。今回の会見で、二度と暴力を振るわないと約束したのですから、謹慎中にどなたか一流指導者に教えを請うて、立派に復帰なさることを期待しています。

 

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